現場を動かす。
ITをただ「導入」して終わりにするんじゃなく、現場の隅々までちゃんと「実装」して、みんなに活用してもらう。
そのために日々泥臭く格闘している中で、最近、ある「管理志向」の強いマネジメント理論に触れる機会がありました。
パラパラとページをめくっていくうちに、「あ、これ。僕が大切にしてる『ほめ育』や『TOC』とも、どこか通じる部分があるな」と感じたんです。
僕が「ほめ育」や「TOC」を自信を持って推せるのは、手法は違っても、その底流に流れている「うまくいくための共通項」を感じるからです。組織や人間関係が良くなるための、いわば「普遍的な原理原則」のようなものが、そこには必ずある。
たとえば、指示が通らなかったり、不具合が起きても報告すら上がってこないような現場。
そこを立て直すとき、大事なのは「言うことを聞かせる」ことじゃない。
本人が「自分で考える」ためのきっかけを与えること。だからこそ、まずは「事実を確認」し、丁寧にヒアリングすることが不可欠なんです。
これって、僕のキャリアのスタートであるシステム構築の世界とも、実は地続きなんですよね。
バグが出たとき、昔の僕はそれこそ「頑張る」しかなかった(笑)。でも、今の僕なら違います。もっとロジカルに、かつ周りの人の助けも借りて、いい意味で効率的にバグを潰せる。
感情を入れないロジカルな部分と、普段からの付き合いという情緒的な部分。
そのどちらも大事だということを、僕は今までの経験で学んできました。
だからこそ、個人を責めたり犯人探しをしたりするんじゃなく、個人と事象をスパッと分ける。人ではなく、起こった「モノや事象」にフォーカスする。
その「事実」を起点にするロジックに触れたとき、
「あ、この理論も、根っこの原理原則は同じなのかかもしれない」
そんな親和性を感じたんです。
ところが、読み進めて理解を深めていくうちに、その感覚が少しずつ「ザラついた違和感」へと形を変えていきました。
その理論が説くのは、徹底した「個の責任」です。
結果が出ないのは、本人の認識がズレているから。だから、上司がそのズレを事実で突きつけ、不足を自覚させる。
一見、効率的に見えます。でも、そこには僕が大切にしている「連鎖」の視点が抜け落ちていたんです。
実は昨日、現在の僕の勤務先である新免鉄工所で、僕自身が失敗をしでかしてしまいました。
戸締りの担当だったので、工場内の施錠や消灯のチェックをしていた時のことです。
ふとした拍子にちょっとふらついて、僕の腕が大きなパイプに当たってしまった。
表面が綺麗に仕上げられていたのに、僕の服がこすれたせいで、ツルツルピカピカだった表面の一部がざらついてしまったんです。
その瞬間、僕の頭の中に悪魔が囁きました。

……。これ、黙っていれば誰にもわからんのとちゃうか……?
ほんの数秒のことですが、すぐに思い直しました。
このまま黙っていたら、明日の朝、担当社員が困る。お客様にまで迷惑がかかるかもしれない。
そもそも、こんな小さな失敗すら共有できないような会社は、僕が目指している「働きやすい職場」ではない。
結局、翌朝一番に報告しました。幸い大事には至りませんでしたが、一瞬でも「言わんとこかな」と思ってしまった自分に、「僕もまだまだやな(笑)」と反省した次第です。
こんなこと(似たようなこと)、これまでの仕事でも至る所にありました。
失敗した瞬間のヒヤリとする感覚、周囲の目が気になって一瞬たじろぐ心の動き。そうした経験を何度も何度も経て、今の僕は確信を持って言えるんです。
失敗を個人の「責任」や「能力不足」に直結させて追い詰めるような空気があれば、現場は必ず不具合を隠します。だって、自分を守るために嘘をつくほうが、ロジカルに考えて「得」になってしまうからです。
僕が信じている「TOC(制約理論)」の世界では、組織をバラバラの個体の集まりとは見ません。
組織は、一本の「鎖」なんです。
ある工程で不具合が起きたとしても、それは担当者だけの責任か?
もし僕の足元が暗くてふらついたのなら、照明の配置の問題かもしれない。動線(レイアウト)に無理があったのかもしれない。
事象をすべて「個人の不足」として処理してしまったら、みんなは「自分の持ち場」を守ることに必死になって、隣の工程に関心を持たなくなってしまう。これこそが、一番怖い「部分最適」の罠なんです。
「事実は確認する。でも、それは人を追い詰めるためじゃなく、仕組みを良くするため」
個人の責任を追及する冷たい論理ではなく、全体を活かし、人を輝かせるための温かいロジック。
その決定的な違いが、明確な違和感となって、僕の中に突き刺さったのです。
この寒々しいほどの「違和感」は、僕がこれまで大切にしてきたことを、改めて問い直すきっかけになりました。
僕が「ほめ育」や「TOC」を自信を持って推せるのは、それらが単に経営の数字だけを伸ばすための道具じゃないからです。その根底には、社会を良くし、人間関係を良くしようとする意志がある。
そして、そうやって多くの人が「これは良いものだ」と合意できるものには、すべからく「普遍的な原理原則」がある。今回の思索を通じて、その正体がより鮮明に見えてきた気がします。
僕が志向するTOC(論理)とほめ育(情緒)。
一見すると真逆に見えるこの二つは、実は「同じ目的」のために存在しています。
それは、「全体善(スループット)」への貢献を最大化するという一点です。
TOCを突き詰めれば、大事なのは「全体の流れ」がスムーズかどうか、それだけ。
一方で、ほめ育が大切にする「承認」も、単に甘やかすためのものじゃない。「君のその行動が、チーム全体の助けになったよ」と、全体への貢献(善い行動)を可視化して称えることなんです。
管理志向の理論は、個人の責任を明確にすることで、結果として組織を勝たせようとします。
でも、僕の考える普遍的な原理原則は、逆。
「全体の流れを良くするために、個がどう振る舞うか」
ここにフォーカスしたほうが、結果的に人は育つし、不具合も隠されなくなる。
ロジカルに全体の「鎖」を整えるTOCと、情緒的に個の「善い行動」に光を当てるほめ育。
この二つが掛け合わされたとき、現場には「やらされ仕事」ではない、自発的なエネルギーが生まれます。
この「論理と情緒の統合」こそが、僕が信じ、現場に実装し続けたい普遍的な原理原則。
手法という枝葉に惑わされず、この地下水脈をしっかり捉えておくこと。
それが、DX事業部長としての僕の「軸」なんだと、改めて腹に落ちた気がします。
じゃあ、実際に現場でどう動くのか。
「不具合も報告しないような現場に、ほめ育なんて甘いんちゃうか?」
そんな声も聞こえてきそうです。でも僕は、「相手の成長度合いによって関わり方を変える」ことは、決して矛盾しないと思っています。
プログラミング的に言えば、相手という「入力」に応じた「条件分岐(処理)」ですね。
まだ「何が正しいか」の認識が浅いフェーズでは、厳格な規律や「事実」の徹底が必要です。不具合を報告するのは、モチベーション以前の「プロトコル(約束事)」だからです。
でも、そこだけで止まってはいけない。
規律を守らせるのは、あくまで全体の流れを整えるため。
そして、その流れのために動いた「善い行動」を承認することで、初めて現場に自発的な命が吹き込まれます。
これを僕は「評価」ではなく、「教育的マッチング」と呼びたい。
相手がLv.1のときに、いきなりLv.5の「自律」を求めても、相手を苦しめるだけです。
「今は規律を学んでいるけれど、目指すのはみんなで助け合って全体最適で動く、もっと愉しい現場やで」
そうやってロードマップを示しながら、相手の現在地に合わせて関わり方を使い分ける。
「すべてはスループット(利益・成果)の最大化のため」という軸がブレていなければ、現場は必ずついてきます。
今回の思索を通じて、僕自身の立ち位置がより明確になりました。
僕の役割は、特定の理論の信奉者になることではありません。
現場という生きたシステムの中に、
「論理(TOC)」という骨格を作り、
「デジタル(IT)」という神経を通し、
「情緒(ほめ育)」という血を通わせる。
特定の管理論を否定するつもりはありません。特定のフェーズでは、それもまた強力なツールになるからです。
でも、僕が一生をかけて「実装」していきたいのは、やっぱり人間味溢れる、笑顔の絶えない、それでいて結果が出る現場です。
普遍的な原理原則を信じて、今日も現場の土をいじり続けたいと思います。
| 中小製造業専門のIT参謀 村上 郁 (むらかみ かおる) |
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