最近話題になっていたドラマを観ようと思って
Amazonプライムで『Fallout』を再生しました。
評判は聞いていました。
ゲームが原作で世界観が独特で映像もすごいと。
でも3話で観るのをやめました。
なぜやめてしまったのか
自分でも不思議だったので
少し考えてみました。
映像のクオリティは確かに高いし
世界観のつくり込みも伝わります。
ただ—どこかで
「引っかかり」が生まれ続けた。
第1話で描かれた地下組織(Vault)への侵攻。
あれだけ支配欲にまみれた勢力が
なぜあんなに簡単に侵入を許すのか。

2話から荒廃した地上が
映し出されるけれど
正直、こう思ってしまった。
「あの世界を支配して楽しいのか?」
「何もない廃墟を手に入れて何がしたいのか?」
支配欲や権力欲そのものは理解できるんです。
戦国時代の大名も、モンゴル帝国も、ナポレオンも
版図を広げることで資源・人・富を得てきた。
支配することに割の合う世界があったから
攻め入る価値があった。
でも2話で映し出されたあの地上には——
人もいない、資源もない、技術の継承もない。
支配するにも攻め入るにも
割に合う世界じゃないとどうにも燃えない。
そこがどうしてもピンとこなかった。
ちなみに結末はひょんなことから知ってしまったのですが
それが第3話で離脱した理由じゃないんです。
「なぜそこへ向かうのか」の動機の土台が
腑に落ちなかったことの方が大きかった。
「世界観のつくり込みがすごい」という触れ込みで観たけれど
私にはそれが感じられなかった。
それが正直なところです。
あらためて好きな作品を思い返すと
そこには共通するものがありました。
『北斗の拳』はポスト核戦争の荒廃した世界で
それでも「人としてどう生きるか」を問い続けます。
ラオウはラオウなりの国を創ろうとしていたし
サウザーにはサウザーの過去といきさつがあった。
悪役にさえ「なぜそう動くのか」の理由がある。
支配するにも割に合う世界を
自分の力で創ろうとしているから
読み続けられる。
好きな映画を思い返してもそれは変わりません。
『ザ・ロック』はショーン・コネリーの
渋さもさることながら
敵のボスでさえ最終的に
大都市を壊滅させるつもりはなかった。
本当に悪いやつがちゃんと報いを受けて終わる
そのカタルシスが気持ちいい。
結局、わかりやすいのが好きなのかもしれません。
動く理由が、ちゃんと見える話が。
「観られなかった」というのは
クオリティへの批判じゃなくて
自分の「ものさし」が見えた体験でした。
登場人物が動く理由に
割に合う世界が見えているか。
エンタメでも仕事でも
そこを無意識に探している自分がいます。
あなたが「続きを観たい」と思う作品には
どんな条件がありますか?
| 現場と経営をつなぐDX部長 村上 郁 (むらかみ かおる) |
|
| 支援内容 |
DX推進・IT活用の相談・伴走支援 組織づくり・人材育成の仕組み化 |
|---|---|
| 活動拠点 | 奈良県 |
| 営業時間 | 平日9時~18時 |
| 定休日 | 土日祝 |