生産性と社員のモチベーションが
上がる工場の作り方

『北の国から』のように、人生を描ける会社を目指して。

NJE理論ブログ

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vol.788

 

俳優の田中邦衛さんが
亡くなりました。

 

 

 

田中邦衛さんといえば、
テレビシリーズ化された
ドラマ『北の国から』の五郎さん。

 

 

 

 

五郎さんのいない『北の国から』って
まったくイメージ無かったですけど、

考えてみれば人はいつかは亡くなるので
当然と言えば当然です。

 

 

 

出演者の年齢に沿って
ストーリーが進む
『北の国から』は

 

いずれこういうときが来るのも
想定されてたでしょうね。

 

倉本聰さんはシリーズ最終話となった
『北の国から 2002 遺言』以降の
ストーリーも考えておられたそうです。

 

 

 

 

脚本家、倉本聰さんは
田中邦衛さん、というか
黒板五郎のことを語る
下記のインタビューの中で

倉本聰さんが語る『北の国から』田中邦衛さん死去
映画『若大将』シリーズや、ドラマ『北の国から』など数多くの作品で活躍した俳優・田中邦衛さんが先月24日に、老衰のため亡くなっていたことが分かりました。88歳でした。

田中さんは昭和7年、岐阜県の生まれ。中学での教員生活を経て、昭和30年に俳優座養成所へ入所しました。一躍名を馳せたのは、若大将のライバル『青大将』役。この名コンビは、シリーズ全17作にわたり、銀幕で輝き続けました。

その後、コミカルな演技とは一転して、高倉健さん主演の『網走番外地』シリーズや、菅原文太さん主演の『仁義なき戦い』シリーズと任侠映画でも活躍しました。

昭和56年に始まった『北の国から』では、北海道富良野を舞台に、妻と別れ、2人の子どもと大自然の中で暮らす父親・黒板五郎役を熱演しました。

『北の国から』のテーマ曲を手掛けた、さだまさしさん:「邦衛さんは『北の国から』のテーマ曲を気に入り、本当に大切にしてくださいました。役者としても、人としても『格別に』個性も存在感も強い素晴らしい方でした。本当に本当に残念です」

『北の国から』で息子を演じた、吉岡秀隆さん:「いつかこの日がくることを、心のどこかで覚悟しておりました。今は邦衛さんの笑顔しか思い浮かびません。自分の覚悟の小ささと、あなたの大きな優しさに涙しかありません。」

『北の国から』で娘を演じた、中嶋朋子さん:「幼いころから今まで何も変わることなく、人として深く接してくださいました。田中邦衛さんという存在に出会い、見守っていただけたことは、かけがえのない宝ものです。役者として人として大切なものをたくさん教えていただきました。本当に本当に感謝でいっぱいです。大好きです。出会う人をみんな幸せにしてしまう、少年のように無邪気な笑顔ばかりが胸に浮かびます。天国でもたくさんの人を幸せにしてくださいね。ありがとう、ありがとう、ありがとう」

『北の国から』の脚本を手掛けた倉本聰さんは、3人の家族と共に長い時を過ごしました。

脚本家・倉本聰さん:「真面目でしたよ。富良野に来ると、黒板五郎の衣装で街中を平気で歩いていたし、富良野ではみんな街の中で会うから『五郎さん』と声をかけられていた。役者って素が出ちゃうんですよね、どうしたって、役者の人間性ってのが。いくら演技をやろうとしたって、よこしまな人だったり、邪悪な性格を持っているとお客にばれちゃう。彼は本当にばれて、いい人だなってみんなが思える人でした」

『北の国から』で求めたのは、情けなさだったといいます。

脚本家・倉本聰さん:「邦さんは『北の国から』に出るまでは、若大将シリーズの青大将が代表だった。割とオーバーな演技で喜劇が得意だったが、喜劇の笑いの出し方が全然違ってた気がした。『北の国から』のキャスティングをお願いした時に、何人か候補がいたが、候補の中から誰がこの中で一番情けないだろうと議論して、異口同音にみんなが『邦さん』と言って決まった。僕の中にいた黒板五郎のテーマは、男ってのは何か真剣に真面目やればやるほど、どこかで矛盾が出てくるものだと。そのことを僕は邦さんに託して、人生をアップで見ると悲劇だけど、ロングで引いてみると喜劇だっていう言葉があるんだけど、そういうものを邦さんにあてにして狙った。ものの見事にそれを演じてくれた。そういう意味だと、あの人と高倉健さんだけだったんじゃないかな」

田中さんと最後に会ったのは数年前、横浜の中華街だったといいます。

脚本家・倉本聰さん:「(Q.最後に会った時はどのような言葉を?)忘れちゃった。邦さんが死んだというけど、黒板五郎はまだ生きてるんですよ、どうしても。明日スーパー行って買い物してる時、ひょっと肩たたかれて『何買ってるの』なんて声かけられちゃうみたいな。『こっちのラーメンの方がうまいよ』みたいなことを言われちゃいそうな気がして。田中邦衛は死んでも、黒板五郎は富良野でまだ生きてるなって。そういうのがたぶん僕が生きてる間は消えないんじゃないかって感じがします」

最後は、家族に見守られながら、安らかな旅立ちだったといいます。葬儀は、すでに家族で執り行われました。

家族一同:「長年、応援してくださったファンの皆様をはじめ、多くの方々に支えられ、心に残る数々の作品に出会い、幸せな役者人生を歩むことができました。故人は最期の日まで、皆様からの励ましを支えに、前向きに生きる気力と、周囲への感謝を持ち続けていました」

田中邦衛さんは亡くなったけど、
黒板五郎は富良野で生きている。

とおっしゃってます。
うん、私もそんな気がします。

 

 

 

そしてもうひとつ。

人生をアップで見ると悲劇だけど、
ロングで引いてみると喜劇だ
っていう言葉がある。

 

田中邦衛さんはそれを
見事に演じてくれた。

と語っています。

 

 

 

これは喜劇王とも呼ばれた
チャールズ・チャップリンの言葉、

 

Life is a tragedy when seen in close-up,
but a comedy in long-shot.

 

人生はクローズアップで見れば悲劇だが、
ロングショットで見れば喜劇だ。

 

ですね。

 

 

 

今、目の前で起こっている
大変なことは
確かに大変なんだけど、

 

長い人生の中で捉えると
あとで笑い飛ばせたり
そのことが結果として
前向きに捉えられたりして。

 

 

 

この毎日ブログにも
通じるところがあります。

 

鶴瓶さんみたいなハプニングや
さんまさんみたいなおもろいこと
なんて毎日ありません。

 

毎日書いていると
しょうもない内容もたくさんあるし、

 

自分で書いてても
嫌になることもあります。

 

 

 

でもそういう一日も
続けてきたから今
こうして788日連続してるわけですし、

 

たまにめちゃくちゃ
いいこと書けたり(笑)、

 

アクセスが急に伸びる
記事があったりします。

 

 

 

北の国からも日々を
淡々と描きながら

 

たまに大きなハプニングや
人生の転換期が描かれます。

 

 

 

私の知人は
「あのドラマは寂しくなるから嫌い」
って言ってましたが、

 

一つ一つはさみしい描写でも
全体を通してなんか
ええ感じやからこそ、

 

1981年から2002年まで
続いたんでしょうね。

 

 

 

うちの会社、新免鉄工所は
今年で105年目。

 

いろんなことがあったと思いますし
これからもあると思いますが、

 

1日1日を大切にして
次の世代につないでいきたいなと。

 

 

 

そして個人事業として行っている
Webマネジメント研究所の仕事も

 

息の長い事業として

育てていきたいなと。

 

 

 

最後に

田中邦衛さんの
ご冥福をお祈りして

 

今日のブログは
おしまいにします。

 

 

 

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名前村上 郁
住まい奈良県

Profile

17年間IT業界に身を置き
2012年製造業のWeb担当に転身。

2020年から新免鉄工所のDX事業部にて
社内外のDXを推進中。